~何か書く~

暇を持て余す無職です。読んだ本の要約などを書いていきます。

『人間知性論(二)(ジョン・ロック)』(岩波文庫) その4


【第十五章 持続と広がりを合わせた考察について】(p.62~76)

 私は混乱を避けるため、距離ないし空間の最も単純で抽象的な想念を広がりと呼んで、延長と区別する。
 心は広がりの任意の部分の長さの観念を得てしまうと、この観念を反復でき、この観念を前の観念に足して長さの観念を拡大できる。そうして長さの観念は地球の任意部分相互の距離に等しくなり、さらに太陽やもっと遠い星の距離になる。心はこの終わりない広がりの中へ進んで行くのを妨げる事物をなにも見出さない。

 心は持続のある長さの観念を得てしまうと、心自身の存在を越え、あらゆる形体的存有者の存在と、世界の大きさを越えて、持続の長さの観念を拡大できる。とはいえ私たちは持続を、あらゆる存有者を越えて拡げることはできない。

 持続も延長も神より他の色々な存有者の性状の名前として用いられるが、私たちは神に無限持続を容易に想念して、そうすることを避けるわけにはいかない。ところが延長は神の属性としないで有限である物質の属性とするので、私たちは延長を属性とする唯一のものと想定されるのが普通な物質の無い広がりの存在をいっそう疑いがちになる。それゆえ、人々が空間についての思惟を追ってゆくとき、ともすれば空間も物体の果てで終わり、それ以上に達しないかのように物体の果てで立ち止まりがちである。

 時間と場所は、区別でき感知できる事物のうちに固定されて相互に同じ距離を保つと想定される既知の一定諸点からの確定的な距離の観念にほかならない。持続と空間とはそれ自身には一様で無限界だから、既知の定着した諸点がなければ、事物の順序と位置は持続と空間のうちに失われ、あらゆる事物は混乱の内に雑然と横たわる。

 時間一般は、無限な持続の中から諸物体の存在と運動とによって測り分けられ、これと共存するだけのものとされるのが普通である。この意義では、時間は可感的世界の組み立てとともに始まり、これとともに終わる。同じように、場所は無限空間から物質世界によって占められ、その内部に包括され、それによって残りの広がりと区別される取り分とされるときがある。

 時間という言葉は時折いっそう広い意義に用いられる。つまり指定された周期的物体運動によって真実に区別された部分でなく、無限で一様な持続の中で私たちが何かの必要に応じて一定の測定された時間の長さに等しいと想定し、無限持続の他の取り分にも当てはめられる。同じように、私たちは世界の果てを越えた場所や距離やかさについて語るときがある。

 「どこ」と「いつ」はいっさいの有限な存在に属する疑問である。ある固定した部分や周期がなければ、事物の秩序は、持続と広がりの無限界無変動な大洋の中で私たちの有限な知性に失われるだろう。
 ある物体の延長は、無限な空間からその物体のかさが取るだけである。場所はある物体が他のある物体から一定の距離にあると考えられたとき、その物体の位置である。

 空間も持続も単純観念に数えて正当である。私たちがどちらについて持つ判明な観念も、どれ一つとしてどんな様式の構成もまったく欠いていない。部分から成ることが、空間と持続の双方のまさに本性なのである。
 心は部分のない延長または持続のある間隔の観念を形成できないので、使い慣れ記憶に印銘された共通尺度(インチ、フィート、秒、年など)を使用する。
 持続のあらゆる部分はこれもまた持続であり、延長のあらゆる部分は延長であって、どちらも無限に足せるし分割できる。しかしどちらについても私たちが明晰判明な観念をもつ最小の構成部分は、空間・延長・持続の複雑な様相を作り、またこの様相を再び判明に分解できるような種類の単純観念として私たちに考えられるのが、最も適当だと思われる。

 広がりと持続はどちらも部分を持つと私たちは考え、それら部分は相互に分離できない。真実に分離できないだけでなく、思惟でさえ分離できない。

 広がりと持続の間には、次の明白な違いがある。広がりについて私たちが持つ長さの観念は、どちらの方へも向けられ、形・幅・厚さを作る。持続はいわば無限に延びる一直線の長さだけで、重複も変動も形も許さず、ありとあらゆる存在の一つの共通な尺度である。

 持続とその部分である時間は、消え去る距離について私たちの持つ観念であって、その二つの部分は一緒に存在せず継起しながら相次いで起こる。また、広がりは永続する距離の観念で、その全部分は一緒に存在し、継起できない。それゆえ、私たちは継起のない持続を想念できない。
 とはいえ私たちは、人間その他有限な存有者とも全く違う全能者の永遠な持続を想念できる。人間は一度過ぎ去ったものを呼び返せず、やがて来るものを現に在らせることはできない。全ての有限な存有者は、神自身に比べては最も卑小な被造物の域を出ない。
 神は過去と未来のあらゆる事物を見通す。万物の存在は神のよき思召しに基づき、神が存在させてよいと考える全ての瞬間に万物は存在する。


 (その5に続く)
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