~何か書く~

暇を持て余す無職です。読んだ本の要約などを書いていきます。

『人間知性論(二)(ジョン・ロック)』(岩波文庫) その5


【第十六章 数について】(p.77~84)

 観念のなかで、単一すなわち一の観念ほど単純な観念はない。この観念を心で反復し、いっしょに足して、数の様相の複雑観念が得られる。一に一を足して一対の観念、十二の単位を一緒にして一ダースの観念、というようにである。

 数の観念は延長の場合よりいっそう精確で区別できる。九十一から九十を区別できるのは、九千から区別するのと同じである。いっぽう延長において、きっかり一インチと、一インチよりほんの僅かだけ多いものとは、そうそう簡単に区別できない。

 大きな単位群から集成が作られる場合、名前ないし標印(しるし)がなければ、数をほとんどうまく利用できない。あるアメリカ原住民は、20まではとてもうまく数えられるのに、1000までは私たちのようにはどうしても数えられなかった。その人たちの言語は乏しく、単純な生活の僅かな必要ごとに適応するだけで、1000を表すことばがなかったためである。

 子供たちは数のいろいろな列を標示する名前を欠くか、数えるのに必要な機能をまだ持たないかのどちらかである。子供たちは20を言える前に、数以外のいろいろな事物のごく明晰な想念を持つものである。
 正しく数えるには次のことが要求される。
  ①一つの単位を足したり引いたりするだけで、互いに違う二つの観念を心が入念に区別すること。
  ②一つの単位からその数までのいろいろな集積の標印を記憶に把持し、しかも正確な順序で把持すること。

 数は、すべての事物を測定するさいに心が使うものである。この測定できる事物は主として広がりと持続である。そして、無限の観念は数の無限に他ならないように思われる。永遠の観念は、持続と広がりの想像された部分を、足す終わりに到達できないという数の無限をともなって、反復し足すことだと思われるからである。付加可能性は、無限のもっとも明晰で判明な観念を私たちに与えると、私(ロック)は考える。これについては次章でさらに考察する。


 (その6に続く)
関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する